モノトーン / YOASOBI
あけましておめでとうございます。てんかんを起こす実家の愛犬を夜通し見張っていたら新年早々寝不足ですでに疲労困憊です。今回は年末に良く再生していた YOASOBI の「モノトーン」という歌詞から勝手に類推した自分の思考を記述していこうかなと思います。いつも通り()は私の心の声。引用は、歌詞で赤字になっている箇所は、特に賛同していることを示してます。ほな、れっつらごー!
WHY YOASOBI
みなさん、YOASOBI ご存知ですか?過去の紅白歌合戦に出演していたり、オリンピックのテーマ曲で耳にしたり、米国の White House に呼ばれていたりなど所々テレビで見かけたことがある人は多いのではないかなと思います。個人的には YOASOBI は「夜に駆ける」から聞いているのですが、本格的に本人たちのラジオや対談を見始めたのは昨年なので、まだまだ深めらるところがあり個人的にはどこからいこうかしら…と思っている次第です。そもそも私は、自分の身近ではない対象に対して興味を持つことが得意ではないので、自分が直接関われない存在を応援するという行為が新鮮で楽しい日々を送れています。
(Ayase さん、Ikura ちゃん本当にありがとう)
そんな私が何故 YOASOBI を好きになったのか?これは単純でコンポーザーの Ayase さんが紡ぐ言葉が私を前向きにしてくれたから。私は時間さえあれば自分自身の生き方や社会や人との付き合い方をひたすら考える人です。周囲の方からは"考えすぎでは?"と指摘されることが多く、ネガティブに捉えられることが頻繁にあります。なので、そんなことを考えている自分は異質であり、避けられる存在だと孤独感を感じていました。そんな中 YOASOBI OTSUMAMI Radio のポッドキャストを聞いた上で YOASOBI の曲を聴いた時、2人を側に感じることができたのです。
(Ayase さんが書く曲が好きすぎるのです、Ayaseさん幸せになってくれ。Ikuraちゃんはあんまり心配していない。笑)
モノトーン
はい、モノトーン。とりあえず、1回聴いてほしい。聴いた上で、歌詞見てもう1回聴いてほしい。この記事を書きながら私は無限ループで聴いている(笑)
ずっと 僕は 僕らは
それぞれ別の世界を生きている
近付いたと思えば
離れ離れに
そう繰り返す度
一人きりを思い知るんだ
YOASOBI の曲全ては、ベースとなる小説やアニメがあり、その原作の伝えたいメッセージを軸に作曲されています。モノトーンは、岡田麿里が書き下ろした小説『ふれる。の、前夜。』を元に制作された映画『ふれる。』の主題歌です。この映画は、「人と人との関係性」がテーマなのですが、この歌詞は悩んだことがある人しか書けないのでは?と思ってます。近づいて、離れ離れになることを繰り返したのちに一人きりに気づく。私映画見てないので、言い切るのも違うかもなのですが、この言葉がセリフになっているとは到底思えないんだよなぁ。元になった小説も読みましたが、まぁ一ミクロも書いてないんです。何故こんなにモノトーンが年末の私に響いたのか、ちょっと私の話を次に書いていきます。
人生は常に孤独戦
2024年12月は、大学時代に大変お世話になったBさんが地方の小さな町で新しい挑戦をしている時期で、その近況や姿を見ては応援していました。本当に素敵な方だからこそ、その方を知らない人にもぜひ知ってほしいと思い、自分のIG(Instagram)のストーリーに度々その方の活動を更新していました。そんな中その方を知っているA子から連絡が入ったのです。私とは異なるタイミングでしたが、Bさんを知っており彼の活動を同じく応援している旨を連絡をくれました。ただその連絡の本題はそこではなかったのです。
"そういえば、私年始に〇〇(地名)行くことになった"と。〇〇は、あえて地名を伏せますが、私が1年前までお付き合いしていた方が今住んでいる場所です。この連絡をA子からもらった時、私は元パートナーとは縁を完全に切っており、人として尊敬できないからもう2度と関与したくないと周囲の友人に伝えていました。A子もその一人です。そんな状況下でその予定を共有してくるA個に頭がおかしいの?と伝えたい所をグッと堪え、"そうなんだ、楽しんでね!でも私はもう関係ない人だからわざわざ共有しなくていいよ!"と返信しました。そしたらなんと返信が来たでしょうか?"それは分かってるんだけど、せっかく△△が繋いでくれたご縁だからね!他の人から又聞きするよりもいいかなと思って!"と。この回答には、流石の私もびっくり。私が繋いだのは、半年以上も前でオンライン対戦ゲームをするためにグループを作った時であり、その1ヶ月半後に私は元パートナーに関与したくなくて、そのグループから早々に消えていました。
元々A子は自分の意見が正しいのである!と主張をする子でしたが、そこまで嫌な気持ちになるようなことが今まで特になく気にしていませんでした。というよりも、物の見方が類似していることや互いに大事にする感覚が似ていると思って関係性を大事にしていました。ですが今回に関しては違います。私の気持ちを受け止めるコミュニケーション能力がないではないか!アラサーだからできないのか?社会人になって関わる人が限定的になったことから気が使えなくなったのか?いや、多分そもそも相手の立場や世界を尊重するという考えがないのか…。そんなことを考えている時間が無駄だと思い、さっさと会話を切り上げましたが、このA子とは関わらないと決めました。
(まずは、謝れよ。が、本心です。笑)
教室の後ろに貼られた
違う色で描かれた同じ景色たち
僕らは誰もが
それぞれで違う
少しのズレもなく重なることはないのに
描いている理想からどれだけ
離れているかで測るような
愛に似せた一人よがりは
行き過ぎた ないものねだり
確かめる度 嫌になって
求める度 身勝手になって
失う度 臆病になった
今より多くは望まないから
今より遠くへは行かないで
そうやって曖昧な距離を保つことが
大人になることだと思い込んだ
モノトーンの歌詞にもある通り、完全に人と合致する物の見方なんてありません。またどれぐらいズレているかなんて、自分が勝手に決めて判断していることです。なのでズレているから友人関係を解消をするのは、自分の都合しか考えておらず、子供らしいと言われるのも納得できます。実際に別の友人からは、嫌なものを聞いたと思って聞き流そうよ、と言われました。ここでもまた違和感を覚えましたが…。というのも、何故自分の素直に傷ついた感情を相手も悪気が無いからと無視して、仕事でもないのにその人と付き合っていかないといけないのか?と素直に思ったのです。
当時A子と連絡を取っていた私は、手が震えるほど憤慨していました。自分が1年以上かかってやっと元パートナーとの関係性を残り超えて、パニック症と向き合おうとしている私を過去に引き戻すような話題を振ってきたのです。それも私が行かない旅行に(笑)言わなければ私が知り得ないことを12月23日に丁寧に連絡をしてきたのです。確かに友人の元彼と旅行に行くのは、印象は良くないかもって思うのも理解できます。ただ行くと決めたなら思われる覚悟をもって行けばいいと思います。それが物事を決断することだと思うので、全員から好かれようなんて甘いんです。
ただ、ありがたいことにこの事象により"手放す大切さ"を私は傷つくことによって学ぶことができました。今までは付き合ってきた人を手放す努力をしてきました。しかし、友人関係に関しては、29年間全く逆の努力をしてました。異業種への就職、転職、結婚、妊娠、離婚など様々なライフステージを歩んでいる今までの友達と話や価値観が合わなくなるのはごく当たり前のことです。ですが、私は必死になって今までの友達たちに定期的に連絡を取ってはしがみ付いていました。でもこれって逆効果なのでは?A子の一件で気づくことができたのです。
ずっと 僕は 僕らは
誰もが別の世界を生きている
だから手を繋いで
そう言葉を交わして
一人きりではないよと
お互いに誤魔化し合うんだ
いつか いつか
この未熟な孤独に包まれて
覚えた寂しさと痛みの分だけ
優しくなれたら
人を信じられたら
ずっと 僕は 僕らは
誰もが別の世界を生きている
だから手を繋いで
そう言葉を交わして
一人きりではないよと
お互いに誤魔化し合うんだ
いつか いつか
この未熟な孤独に包まれて
覚えた寂しさと痛みの分だけ
優しくなれたら
人を信じられたら
友人やパートナーと好きなもの、嫌いなものが完全一致することは起こり得ないです。ただその瞬間の人生で大切にしたいと思える価値観が一瞬でも似ている人と時間が共有できれば、人は満足感に浸れる。人は死ぬ時まで一生一人で孤独でもその孤独感があるからこそ一瞬でも分かり合える友人と出会えるとその瞬間を味わい尽くせる。だからこそ相手を大事にも優しくもできる。その事実と目が合ったことで自分が発する言葉や行動は相手にとって受け取れる内容なのかは、今後考えていきたいな。
さあ、明日はアメリカンフットボールです。
Wild Card 見るの楽しみだな!
